先日のブログ(「清濁併せ吞む」という言葉の捉え方は難しい)でも書いたのですが、
『みんなやっているから』ということについて少し深く考えてみようかなと思います。
何で苦手かというと、「みんなやっているから」を鵜吞みにして同調すると嫌な問題が起きやすいから。
今回は、「みんなやっているから」で起こる問題点について深く考えてみました。
『みんなやっているから』は思考停止のはじまり
会社だとどうしても自分の意思とは関係なく、やりたくなくても、やらなければならないことが多いですよね。
それが「良いこと」ならいいですが、「悪いこと」の場合、精神的に辛くなりますよね。
(私の場合はすぐにその場から逃げ出してしまうかなと思います。)
でも、段々社歴が長くなると、「みんなやっているから、悪いことでも、やっちゃえやっちゃえ」となり、それを誰も止める人がおらず、継続するうちに、それが当たり前の習慣になる。
これって怖いですね。完全に思考停止状態。
何も考えずに、「みんなやっているから大丈夫」という感覚になる。
それが当たり前だから、それを他の社員に勧めるのも当たり前になる。
それを繰り返していくうちに、会社の社風が隠蔽体質みたいになる。
そして、ルールに寛容な、ではなくて、ルールを守らない人間や組織が出来上がる。
『みんなやっているから』という同調思考
私はほとんど会社で働いたことがないのですが、少しだけ働いた会社の中で一番腑に落ちなかったのが、「上司が帰らないから部下も帰れない」という意味不明な残業。。。
こっちはすでに仕事は終わっているのにですよ。
しかも、終電になる日がほとんどで、人の人生を何と思ってんねん!!と思いますよね。更には一切残業代も出ない。。
不思議なことに、誰もそれに対して文句を言う人もいないし、改善しようという人も出てこない。。
私は自分の人生を無駄にしたくなかったので、さっさとその会社に見切りをつけました。
みんな波風立てなくないんだろうなと思います。
言えない雰囲気が作られているのだろうと思います。
でも会社のための人生ではなくて、自分の人生なんだけどなと私は思います。
『みんなやっているから』は隠蔽体質のはじまり
実は、先日のブログで登場したルールを守らない人物は、隠蔽体質でニュースになるような大手企業に長いこと務めている人です。
その人が私にルールを守らないことを勧めてきたので、ずっと腑に落ちないでモヤモヤしていたので、自分の頭の中を整理するつもりでこの記事を書くことにしました。
私の憶測ではあるのですが、ルールを守らないのは、その人のこれまでの歴史が反映されているのかなと感じます。常にルールを守らない組織にいたので、それが当たり前になっているのかなと。
あくまでも想像ですから何とも言えないですけどね。
『みんなやっているから』が悪に傾くとまずい
私も『みんなやっているから』というのを全否定するわけでもなくて、良いことなら『みんなやっているから』と真似した方が良い場合も多いと思います。
でも、悪いことを『みんなやっているから』と真似するのはどうかと思います。
それが何重にも重なりあって、遂に誰もそれを疑わなくなり、当たり前になる。
そして、外部の人間や他人から何かおかしいんじゃないか?と訝しげに見られ始める。
本当のことを見られたくないから、隠そうとする。
それが常態化して、隠蔽体質の人間や組織が完成するという感じなのかなと思います。
言ってみれば、トップから腐って、それが下に伝播していくというイメージなのかなと思います。
『みんなやっているから』が思考停止させて成長を遅らせる
正直、「みんなやっているから」と楽な方に行った方が一時的には楽に成果を出せる場合が多いとは思います。
でも、先述の通り、「みんなやっているから」は思考停止を助長して、自分の頭で考えることをさせなくなるので、人や組織としての成長は見込めなくなってしまいますね。
近道を選ぶとプロセスがないので、見た目は良くても、実は中身はスカスカみたいな現象が起こるかもしれませんね。
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まとめ
書いていてちょっと思ったのは、日本の社会が停滞しているのも、もしかしたら、こういう『みんなやっているから』という思考停止が原因のひとつなのかもなと思いました。
もし自分の人生を自分でコントロールしたければ、やっぱり自分の頭で考えて自分で行動することだろうなと思いますし、そういう人が増えることで、社会も上昇していくのではないかなと思いました。